コロナが蔓延し始めた頃に、横須賀に移住してきました。
それから3年、東京地方税理士会横須賀支部には、不義理ばかりで申し訳なく思ってはおりますが…
思ってはおりますが、もう世捨て人になっているので、こらえてつかぁさい、の心境です。
コロナの影響で、在宅、在宅、また在宅で、ここにきてやっと、在宅での仕事が身についてきたところです。
横須賀に来て、毎日海を眺め、海の見える公園に犬を連れて散歩に行くというのが日課であり、健康法になっております。
観光地なので、いろんなイベントもあり、楽しみには事欠きません。
映画館もあり、ショッピングセンターもいくつもあり、劇場もあり娯楽や買い物にも不自由はありません。
食事をするところも、勇気を出してドアを開ければ、女性たちが集っているカフェや食堂も多いので、あちこち探訪しております。
ほんとに、外食をする女性、おばあちゃん二人連れや、女性一人で食事をしている人が多いと感じます。
ステーキを食べるおばあちゃんたち。元気の源ですね。
軍港の街なので、米兵も多く、犬を連れて歩いていると、駐留米軍の家族の人たちと交流することもあります。
移住して良かったと、今は思っていますが、いかんせん、人口流出で市の財政が苦しいとのことで、以前はよくやっていたふるさと納税も控えております。
私には住むには快適なサイズの街、横須賀です。
追記
大正元年から4年間。
曾祖父が、今はなき第3海堡の建設のため、横須賀に赴任していたそうです。
曾祖父は、日露戦争時代、203高地で負傷して北海道で治療を受けていたそうですが、傷が癒え、工兵部隊で築城のエキスパートということで、浦賀隧道での海堡建設のため、横須賀に赴任してきたらしいです。
コンクリートを海に流し込んでの建設で、苦心惨憺、完成したものの、関東大震災で瓦解し、戦後、船の航行の邪魔になると、完全撤去されてしまいました。
このあたりの事は、三笠ターミナルにある、猿島行きの船の切符売り場の展示に詳しいです。
そういうことで、ほんの少し、横須賀とは縁があったのかも…。